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夏目漱石の前期三部作を読む

 自分は小説をあまり読まないが、なぜか夏目漱石の小説は時々思い出したように読む。

 

 小学生か中学生の時に児童文学用の「坊っちゃん」(1906年)を読んだのが最初だったかもしれない(記憶が定かでない)。高校の国語の授業で「こころ」(1914年)を読んだのは覚えている。暗いストーリーで、「先生」に感情移入することはなかったあまりなかった。

 

 夏目漱石は1967年に生まれ、1916年に没した人だが、驚くべきことに作家としての活動期は1905年(明治38年)から1916年(大正5年)のわずか11年間である。日本が日露戦争(1904年)に勝利して欧米列強に加わり、少し浮かれた時代だったのではないかと想像する。大正デモクラシーと呼ばれる時代の前半にあたる。

 

 夏目漱石の前期三部作と呼ばれる作品は、「三四郎」(1908年)、「それから」(1909年)、「門」(1910年)である。自分はこの三作品を文学的に読むわけではなく、日露戦争から満州事変に至るまでの過渡期の日本の断片が見えるのが面白くて読む。

 

 一作目にあたる「三四郎」で一番印象的なのは、主人公(三四郎)が九州から東京に向かう汽車の中で仙人風の男(広田先生)に偶然出会い、二人の会話の中で広田先生が「(日本は)滅びるね」と言う有名なシーンである。日露戦争(1904年)に勝利して浮かれた時代に、夏目漱石は日本の暗い未来を見ていた。イギリス留学の経験がある夏目漱石の目には、当時の日本が背伸びしている様が見えていたのだと思う。

 朝日新聞に連載された小説で「滅びるね」と書ける時代だった。

 

 二作目にあたる「それから」は、高等遊民である主人公(代助)が人妻を奪い、父親から経済的援助を絶たれて、最後は精神が錯乱したような絶望的なシーンで終わる。

 

 三作目にあたる「門」は、主人公(宗助)が(人妻を奪った罪の意識から)救済されるのかと思いきや、あまり希望もないが絶望もない心境のうちに物語は終わる。「それから」に比べたら、主人公は救済されたのかもしれない。夏目漱石が胃潰瘍で苦しんでいた時期にあたり、それが作品に影響したとも言われている。

 

 この作品の前年に伊藤博文がハルビンで暗殺される。小説の中で主人公(宗助)が家族(妻と弟)に対して「・・・伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうは行かないよ」と言うシーンがある。この作品も朝日新聞に連載されたが、よくこんなセリフを作品の中に入れられたなと思う。

 

 主人公は経済的には苦しい生活をしているが、家に「下女」がいるのが不思議である。弟の大学費用は自力で工面できない。この時代は、相当の資産家でないと子供を大学に行かせることができなかったことがわかる。

 

 物語の途中から主人公が住む貸家の家主が登場する。経済的に豊かで、仕事もせずに楽しく大家族で暮らしている。博識で雑談は尽きない。主人公は(人妻を奪うようなことをしなければ)この家主のようになっていたかもしれないと実現しなかったもう一人の自分を想像する。夏目漱石は、どういう意図で本作の家主のような人間を登場させたのだろうか。この時代の理想的な人物像だったのだろうか。

 大学で(例えば)哲学を学んだ後に就職してデスクワークをするよりも、仕事もせずに思索をしながら経済的には豊かに暮らす方が理想的かもしれない。

 

 家主の弟の話が出てきて、家主が満州や蒙古を徘徊している弟を「冒険者」と言うシーンも興味深い。経済的なチャンスを求めて満州に行くことを冷ややかに見ていたような印象を受ける。

 

 さて、高校生になった娘は「こころ」をどう読むだろうか。今から楽しみだ。